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マーケットリスク管理コンサルタント 倉井健一

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「プラザ合意」と「バブル」と「前川リポート」と

2014年12月21日

総選挙の結果、比較的低投票率ながら与党が2/3を確保、アベノミクスは信認されたことになったようです。一方、我が国の国債発行残高は1000兆円を超え、国民一人当たりに直すと約1000万円の借金ということになりました。当然のことながら国債残高は偶然積み上がったわけではありません。時の与党である自民党と財務(大蔵)官僚の政策的な判断が重大な役割を果たしています。

下のグラフを見て下さい。 Wikiからお借りしてきた我が国の国債残高のグラフです。1990年代に国債の発行額が急激に伸び始めたことが見て取れます。

National_Debt_of_Japan.svg

きっかけは「プラザ合意」 (中曽根総理大臣、竹下大蔵大臣、澄田日銀総裁)

1985年、ニューヨークのプラザホテルに集まった先進5カ国の蔵相、中央銀行総裁がドル安円高に協調介入することで合意しました。双子の赤字(財政赤字と貿易赤字)で苦しんでいたアメリカに対して巨額の貿易黒字を計上していた日本、その解決策として為替レートの調整が提案されたのでした。翌日、円はドルに対して20円上昇、2年後に120円にいたるまでの長い円高ドル安の始まりでした。

翌月、中曽根総理大臣は前川春雄・元日銀総裁を座長とする「国際協調のための経済構造調整研究会 」を発足させました。わが国の経済社会の構造と運営に関する中期的なビジョンの策定を諮問します。翌年の4月、研究会は議論の結果をまとめて「国際協調のための経済構造調整研究会報告書」いわゆる前川リポートを発表しました。このリポートがその後のわが国の経済政策に大きな影響を与えていくことになります。

「前川リポート」とは何か

前川リポートとは何だったのでしょうか?

基本認識という章に「我が国経済の置かれた現状」とうパラグラフがあります。そこではこう述べられています。

「国際収支面では経常収支黒字が一九八〇年代に入り傾向的に増大し、特に一九八五年は、対GNP比で3.6%とかつてない水準まで大幅化している。
 我が国の大幅な経常収支不均衡の継続は、我が国の経済運営においても、また、世界経済の調和ある発展という観点からも、危機的状況であると認識する必要がある。
 今や我が国は、従来の経済政策及び国民生活のあり方を歴史的に転換させるべき時期を迎えている。かかる転換なくして、我が国の発展はありえない。 」

危機的状況、発展はありえないなどの言葉からは悲壮感に満ちた決意が伝わってきます。何が日本をここまで追い込んだのでしょうか?

それはアメリカからの圧力でした。アメリカが日本に対して巨額の貿易赤字を計上している背景には日本経済の構造問題があり、それを是正しなければならないというアメリカ側の認識があったのです。つまり、日本はアメリカに集中豪雨的な工業製品の輸出を行いアメリカの雇用を奪っているとして悪者にされました。アメリカの議事堂前で日本車や東芝製のラジカセをハンマーで破壊するパフォーマンスが行われたのもこのころです。そして自分たちは何もせずにわが国に対して制裁をちらつかせながら一方的な要求をしてくるようになりました。

これらの圧力に対する日本側から示された譲歩が「プラザ合意」であり「前川リポート」だったのです。

「前川リポート」の提言

  1. 内需拡大
  2. 国際的に調和の取れた産業構造への転換
  3. 市場アクセスの一層の改善と製品輸入の促進等
  4. 国際通貨価値の安定化と金融の自由化・国際化
  5. 国際協力の推進と国際的地位にふさわしい世界経済への貢献

前川リポート全文

前川リポートの全文は上記のリンクからご覧いただきたいと思いますが、かなりドラスティックな社会と経済の構造改革を実施すべきであるという提言です。工業製品を輸出するばかりではなく内需拡大を図って輸入を増やしなさい。働き蜂のような生活を改めて積極的に余暇を創出してサービス業を振興して消費を増やしなさい。海外にどんどん直接投資をして工場や産業を国外へ移転しましょう。国内の市場を開放して関税を下げ、非関税障壁も撤廃して輸入の促進を図りましょう。金融を自由化し円の国際化を進めましょう。そして、国際協調を進め大国としてふさわしい節度を身に着けましょう。などなど。

実際、前川リポートが公表されてからわが国では国際化、自由化の大号令のもとにさまざまな分野で変革が進みました。過剰ともいえる対米配慮、国際協調が行われ、国益というものはどんどん脇に追いやられていきました。その背景には、このままでは西側の先進国、自由貿易を掲げる資本主義国の中で日本の居場所がなくなるぞとというアメリカからの脅しがあったのです。

そしてバブル

プラザ合意後の急激な円高でわが国の経済の調子は狂い始めました。円高不況の到来です。不景気対策と言えば金利を下げることと財政支出の拡大ですが、それを後押しするもうひとつの要因がありました。アメリカからの内需拡大要請です。円高不況と内需拡大圧力、この2つが合わさって次第に財政支出のたがが外れ、歯止めが利かなくなっていきました。

87年頃から円高、株高、債券高(金利低下)のトリプル高が始まり、土地の価格も急上昇していきました。バブル経済です。87年後半には日銀は公定歩合の引き上げを模索しますが、87年11月にニューヨークの株式市場でブラックマンデーが起きたため、ときの大蔵大臣宮沢喜一が引き上げをあきらめたという噂が流れました。これも事実であれば過剰な対米配慮と言えるでしょう。こうしてバブルはどんどん膨らんでいき、やがて終焉を迎えます。

失われた20年の始まり

バブルが崩壊し、株式市場は暴落、土地の価格も急低下して短期間の間に1500兆円とも言われる国富が失われました。それに対応するため政府は必死になって金融緩和と財政支出を行います。こうして財政のたがは完全に外れてしまい。赤字国債が次々に発行されて国債の発行残高は積み上がっていったのです。

一度失われてしまった財政規律を取り戻すことは簡単ではありません。予算を増やすときは政治家も官僚も、そして恩恵に与る企業や国民も皆ハッピーな訳です。しかし予算を増やすことは簡単でも減らすことは様々な既得権益を享受している団体から抵抗を受けるため大変難しいのです。

こうやって振り返ってみると、悔やむのはアメリカからの圧力のもと急激な円高を容認したこと、そしてやはりアメリカからの内需拡大の強い要請で財政支出の拡大が正当化されてしまったことでしょうか。ちなみに中国はこのような日本の歩みを反面教師にしてアメリカからの圧力には絶対に屈しないというのを中国共産党として政策決定していると言われています。

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